DOOR - クトナー・ホラ旧市街
石畳の坂道の途中に美しい扉があった・・ここはチェコ中央部にあるクトナー・ホラの旧市街。どこかで時が止まった様な街。
教会とか特別な建築物でなくても、街中の何でもない古い建物の扉の造形がびっくりするほど凝っている・・イカすよね ww
真鍮製のノブも何か可愛いな・・でっかい鍵穴をよく見ると中に現代的な鍵穴が見えるね、さりげなく景観保護してるのか ww
外壁と一緒に黄色く塗装されてしまった配電ケースもまた、可愛い ww 旧市街の建物は細部を見れば見るほど味わい深い。
中心街は結構綺麗なんだけど、端の方へ来るとこんなふうにボロボロの建物が目立って来る・・人も住んでるのか分からない
味のある建物から、より味のある建物へ・・なんて感じでぶらぶらしてたから気がつけば老朽化による廃墟街だった ww
この建物なんてサンルームまで付いてめっちゃオシャレな豪邸だったんだけど、壁はボロボロで人が住んでいる気配はなかった
この横の細い路地を通って来た時、中から小さな女の子が二人笑いながら飛び出してきて、その後を追うように警官が現れた。
多分この空き家の庭で遊んでたのをパトロール中の警官に見つかって逃げていったのだろう・・沼おじさんまで怪しまれた ww
正面に回ると門扉は歪んで鎖が撒かれている・・ガラスは綺麗だから管理はされてそうだけど、人がいないと朽ちる一方だ。
ヨーロッパの建物なんてどれもいつから建ってんの?ぐらい古いし、外壁の漆喰を塗り直すだけで普通に住めるのかもね ww
でも、このエリアは一帯がこんな感じのボロボロタウンなんで新しい買い手を見つけるのはなかなか難しいだろう・・
いくら歴史のある街でも人のいる古い街並みと、人のいない寂れた街並みは全く別物だ・・ここまで来ると一新する必要がある
そうやって消えていった歴史の風景がどれだけあるだろうか・・廃墟街はそんな趨勢の繋ぎ目を見ている様で儚くも面白い ww
まぁ、単純に沼おじさんは廃墟好きだからね、なに言ってんの?って感じだけど・・どうして好きなのかって考えると・・
案外そういう事なのかもしれない・・このひん曲がった窓の柵も可愛いね、ヨーロッパのボロ屋は愛嬌があるな ww
一応、人が住んでたら申し訳ないので廃墟ではなくボロ屋と言っておく沼おじさん・・それも十分失礼な話だけどね ww
おっと、またイカした扉があったよ、この建物は以前お見せしている・・今にも崩壊しそうな建物だったから味わいが凄い ww
崩れた部分から色んな時代の石材が見える。レンガも斜めに入ってたりするし、何度も崩れて無理やり修繕して来たのだろう。
配電ボックスも壁に埋め込まれているけど、建物ができた当初はこんなものなかったワケで・・後から埋め込んだんだよね・・
一旦コレを見て欲しい、このオラオラな電気工事を ww 別のエリアだけど同じくクトナーホラ、セドレツ区の古い石塀だ。
古い塀の石材を削って無理やりはめ込んでいるワケよね・・よく見ると結構無茶なこと色々やってて面白いんだよな・・
そんな目で改めてこの壁を見ると、よく建ってるなぁって思う ww まぁ 地震とかないからだろうね、日本じゃ出来ない芸当だ
このままこの建物を日本に持ってきたら、震度3の地震で即崩壊しそう ww いや、しかし素晴らしい扉の佇まいよ・・イカす
と言うワケで、クトナー・ホラの旧市街をぶらぶらした時のお話でした、チェコは見どころ一杯で楽しい。それでは〜
チェコの路面電車 トラム
どうも、土曜日の祝日なんて祝日じゃない!と憤慨している沼おじさんです。今から受け入れる準備をしておきましょう ww
さて今日はプラハの景色、旧市街には路面電車の可愛い『 トラム 』が走り周っている。単にトラムを撮ってたんだけど・・
よく見ると中の人たちが結構こっちを見ているものだな ww トラムはバスのような座席配置になっているから外が眺めやすい
こんな急なクランクも車の流れを縫ってスイスイ・・この感じは江ノ電に似ているな・・無理やり後から線路通した感じ ww
沼おじさんは歩き周って写真を撮りたいから、あまり乗り物には乗らないけど、一度は乗ってみたくて無駄に乗車もしたっけ
トロリーバスってヤツもそうだったけど、トラムの切符は駅区間での料金ではなく、乗車時間の切符だ。30分とか60分とかね
車内の機械に切符を差し込むと乗車した時間が印字される感じだったかな・・その後は特に切符の回収もチェックもなかった。
プラハは歩いた方が面白いけど、沼おじさんのように思い出作りに乗ってみるのもいいだろう。また行きたいなぁプラハ・・
旧バチャ工場を歩く - チェコ
どうも、ヤクルト1000を一ヶ月飲むと言って、一週間でやめた沼おじさんです ww みなさん決め事の継続出来てますか?
ね〜、続かないものは続かない、そいういうモノです。ストイックになり過ぎても逆にストレスだしね・・・
特に趣味なんかはマイペースが一番・・と言うワケで更新をサボった言い訳が終った所で、今日もチェコの工場街をぶらぶら。
『 旧バチャ工場 』はこんな道を進んだ先にあった。この辺はまだ工場街って感じではないね、でも赤レンガ建築なのは一緒。
この一帯は工場の建物より綺麗だし、現役で使われている感じだ。後から工場に合わせて建てられたものかもしれない。
綺麗な赤レンガと青々と茂る芝生に、爽やかな印象すら抱いてぶらぶらと適当に歩いていた。ふと、空を見上げると・・・
新市街を歩いてた時に見えていた煙突がすぐ近くに見えた。よし、そっちの方へ行ってみようと進んだ先が工場街だったのだ。
何と言うか・・気がついたら工場街の真ん中に居た感じ・・日本の大きな工場街だったら、門とか何かしら境界があるけど・・
この靴の製造をしていたバチャ工場街には垣根がない。そもそもズリーンはバチャ工場の従業員の為に作られた様な街だからね
おかげで自由きままに工場街を闊歩出来るワケだ、人も全然いないしね ww 道路の縁石が地味に凝ってて可愛いかった。
奥へと進むほど建物が黒ずんで存在感が増してゆく。その無機質で無骨な造形も相まって、不気味なオーラを放っている様だ。
近づいてみると手前に貨物線路が通っていた。ここは搬入搬出のターミナルかな、貨物線路は工場街の至る所に走っていた。
巨大な赤レンガ工場の引き絵も凄いけど、今度は細部を愛で始める沼おじさん。部位を切り取ってもこの味わい、最高だね ww
雰囲気があり過ぎて、何処をどう切り取っても味わい深い・・味わいが溢れている。廃墟ではないんだけど、似たような感覚。
ズリーンは観光地ではないし、余程の事でもない限り行く事はないだろう。でもそういった街だからこそ味わえる景色もある。
まぁ写真が趣味でもなければ、こんな所きたって何も面白くないかもしれないが・・好きな人には写欲が溢れる街だろう ww
と言うワケで、チェコの南東部にあるズリーンの『 旧バチャ工場 』をぶらぶらした時のお話でした。それでは〜
チェコの工場街散歩
チェコの南東部にあるズリーンの工場街をぶらぶらしていると、メチャメチャちっこいブルドーザーを発見・・可愛い・・
こんなちっちゃい重機を、でっかい白人がギュウギュウになって操縦していると思うと、まるで鳥山明の世界の様でウケる ww
靴を製造していたバチャ工場の駐車場前・・奥に写っている工場はバチャのモノではなく、電力会社かなんかの工場だと思う。
駐車場とこのエネルギー工場の間には貨物と一般の鉄道線路が走っている。ズリーン駅はこの右手のすぐ先にあったかな・・
ズリーンの街は結構色んなエリアを歩き回ったんだけど、このエネルギー工場の煙突が何処からでも見えたので印象的だった。
工場の裏には川が流れていて、その対岸に昔お見せした石炭火力発電の冷却塔がある。色んな工場が生活圏に近いんだよね・・
そもそも靴工場を中心にその従業員の為に発展した街だからね、様々な施設がミニマムに纏まっているのが面白かった。
旧バチャ工場エリア・・手前に線路があるね、先程の貨物本線から分岐した線路が、工場エリア内にも張り巡らされている。
全部赤レンガの無骨で四角い工場なんだけど、案外どれも個性的でそれぞれに違った深みがあるんだよね、イカすわぁ ww
気持ちのいい散歩日和に、この誰もいないゴーストタウンのような旧工場街をぶらつく沼おじさん夫婦・・楽しい www
まだ工場散歩はつづく。今日はこの辺で・・忙しくなってきたのでまた更新が減るかもしれないけど、まぁボチボチと・・
それでも休日はお出かけしたりしてるので、ネタは溜まる一方だったりする今日この頃であります ww それでは〜
不釣り合いな青空
自由に羽ばたきたくなる様な青空の下・・機能主義の真四角煉瓦ビルは我関せずと、チェコはズリーンの街に鎮座していた。
この赤レンガのビルは『 Bata 』と言う靴メーカーの工場跡だ。今は貸し倉庫的に使われているのか、いないのか・・・
少なくとも管理はされている様だが、ここは人っ子一人いない ww 車はチラホラ停まってるから、中に人がいるのかも・・
無駄な凹凸もなく真っ平らで真四角。いかにも無機質な形状ながら、積み重なる赤レンガの細かなディティールは表情豊かだ。
そのアンバランスで垢抜けない感じが可愛くもあり、不気味でもあり、なんとも味わい深い景観を生んでいるのだった・・
この窓の中を見ると廃墟感あるなぁ・・夜に電気でも点いてりゃ分かりやすいけど、夜中にこんな場所には近寄りたくない。
チェコで危険を感じる事はなかったが、酔っ払いの若者は変に話しかけて来たりする。両手にビールを持ってる奴は特に ww
まぁ、でもコレだけ窓があって一枚も割れてないという事は何かしら使われているんだろう。廃墟だったら100% 割れている。
人が全くいないなからそんな事を考えてしまうのかも・・休日だったのかな、海外旅行に行くと曜日の感覚がなくなるね ww
この日はホントに天気が良かった。この静けさの中、不自然な程の青空に包まれて逆にホラーだなと思った沼おじさんでした。
プラハの雨と低気圧に翻弄される沼おじさん
急に降り出した雨に、のんびりとプラハ旧市街を楽しんでいた観光客たちも、慌てて雨宿り先を探して右往左往し始めた・・
旧市街広場の顔とも言える『 ティーン教会 ( ティーン前の聖母マリア教会 ) 』もどんよりした空に不機嫌な表情を見せる。
でも雨に対する反応は様々だ・・体を濡らすまいと足早に移動する人々をよそに、犬は喜んで水溜まりに足を踏み入れる ww
カッパを着てはしゃいでいる人もいるし、傘を携帯している準備の良い人もいる・・でも欧米っぽいなぁと思うのは・・
そこそこな雨なのに傘もささず満面の笑みで広場をのんびり歩く人が少なからずいることだ、どんな気持ちなんだろう・・ww
壁際の人達も普通に濡れる場所にいる。びしょ濡れになる程ではないが、日本人なら傘をさすか屋内に避難するレベルの雨だ。
そう言えばカナダへ行った時も多少の雨くらいなら傘をさすより、フードを被れば OK みたいな人が多かった気がする。
ヤン・フス像も雨など気にもせずティーン教会を見つめていた。ティーン教会はフス戦争の時、フス派の本拠地だったそうだ。
この教会は10世紀頃からあり、現在のゴシック様式の姿になったのは14〜16世紀、内装は17世紀にバロック様式に改装された
中に入った記憶はあるんだけど、撮影がNGだったのかな・・写真が無いのでどんな感じだったかしっかり忘れてしまった ww
名前のティーンは『 税関 』の事で昔、税関の建物が裏にあったらしい。それが名前になってしまうのも可笑しな話だね。
沼おじさんは傘をカバンに突っ込んでいたのでこうして撮影しているが、この後雨足が強くなって近くの教会に駆け込んだ・・
それより雨といえば最近頭痛が酷いのね。最初は一日我慢すれば朝には治るかと思ったけど、翌日もずっと痛みが続いた・・
このご時世、ちょっと体調を崩すとコロナじゃ無いかと思ってしまうけど、多分雨・・と言うか、低気圧のせいだろう。
耳も痛かったんでね、気圧を調べたらやっぱりここ最近は急激に気圧が下がっている。ここで知ったのが『 天気痛 』ってヤツ
爺さんが言う「 ヒザが痛むから雨が降る 」的なモノで、低気圧が内耳の気圧センサーに悪さして頭痛のトリガーになるってさ
影響は人それぞれだと思うけど沼おじさんは難聴があるので、気圧の影響を受け易い。昔大音量で音楽を聴いていたせいだ
先月も夜中に耳鳴りがすると思ったら、翌朝トンガの海底火山噴火の影響で気圧が大きく変動したと言うニュースを見た・・
体で気圧の動きが分かるのも面白いけど・・出来ればそんなこと分からない方が幸せだとつくづく思う沼おじさんです ww
仕事の眠気覚ましとか、イヤホンで大音量で音楽を聞いたりしちゃダメよ・・そのツケは結構デカい・・マジで・・
と言うワケで、プラハの雨模様と沼おじさんの低気圧との戦いのお話でした。頭痛がしたら早めに頭痛薬飲んだ方が楽 ww
ウェザーニュースに『 天気痛予報 』ってのがあるから、原因不明の頭痛が多い人はチェックしてみてもいいかもしれないよ
カレル橋を渡る - マラー・ストラナ橋塔
今日も引き続き『 カレル橋 』を歩いて行きたいと思います。と言っても、もうほとんど渡りきってしまっているんですが ww
前回は橋の下に見えたマラー・ストラナ地区の小川を見て終わりましたが、この川は『 チェルトフカ運河 』と言うらしい・・
まるでベニスの様な風景だけど、この運河に沿って中世の製粉所が幾つかあるんだって。やっぱり川辺の階段は船乗り場だね。
さて、旧市街橋塔の反対側に建つ『 マラー・ストラナ橋塔 』が見えてきました。あの門がカレル橋の終点。でもよく見て・・
門の左右に高さの違う塔が二つあるね、建築様式も違うしどう見ても不格好だ。この二つの塔は作られた時期が違うんだって
右の高い塔は15世紀になってから旧市街橋塔を真似して建てられたもので、左の低い方は13世紀以前からあるモノなんだそう。
プラハ城から見たカレル橋、奥が旧市街で手前がマラー・ストラナ。ここから見ると高い方の橋塔を作り足した気持ちも分かる
当時この辺りの橋はコレ一本しかかなったようで、城の防御としては外門にあたる旧市街側の橋塔だけ作れば良かったんだろう
すでに低い橋塔もあったワケで、昔はこちらが防御の要だからその両脇には強固な要塞もあり、門はもっと巨大だったそうだ。
フス戦争では橋もかなりの被害を受けた様だが、その後高い方の塔が造り足されたのは落ち込んだ街を景気付けたかったのかも
カレル橋最後の傾斜を下る前、橋塔越しの丘に連なる街の圧縮感は不思議なものがある。奥へ行くほど建物がデカいからね。
ところでカレル橋が出来る前から低い方の橋塔があったって事は、ここにカレル橋の前身となる別の橋があったワケだが・・
検索すると『 ユディト橋 』とか『 ユディット橋 』『 ユディティン橋 』など表記ゆれが多くてマイナー歴史名に戸惑う www
それなりにしっかりした石橋だったようだけど、洪水で破壊された様子・・それで同じ場所にカレル橋が再構築されたみたいね
横の家が近い ww 聖像も残り少なくなってきた。これは『 マサの聖ヨハネとヴァロワの聖フェリックス及び聖イワン像 』
写ってないが下段に牢屋がありキリスト教徒が監禁されている。左下で肘をついているのはそれを見張るトルコ人で番犬もいた
上段には囚われたキリスト教徒を解放するための三位一体修道会を創設したヨハネとフェリックスが立っている。
でもこの中段がよく分からない。射られた鹿と二人の男、マントの人はボリヴォイ1世で跪いて嘆いているのがイワンかな
三位一体修道会の説明は色んなサイトに書いてあるんだけど、この中段の説明をしているサイトが一つしか見当たらない・・
ボリヴォイ1世はボヘミアでキリスト教を初めて国教にした人物らしいけど、聖イワンについてはどう言う人なのか分からん
これは洞窟で雌鹿に乳をもらい生きていたイワンと、その鹿を射殺してしまったボリヴォイ公との出会いと親交の物語らしい。
これと12世紀末の三位一体修道会とどう繋がるのかな・・この物語はそれ以前、9世紀くらいの話だ・・
いよいよカレル橋の終点、マラー・ストラナ橋塔の門が迫ってきました。この門の奥に続く坂道の景色がすごくカッコよかった
マラー・ストラナ地区で散策できたのはこの先のエリアで、橋の下のエリアがあるのをすっかり忘れていた沼おじさん・・
さっきの運河が流れていたり、結構面白そうなエリアだから後悔している・・でもヴィート大聖堂でお腹一杯だったんだね ww
ずっと前を歩いていた警官に追いついた。背中の『 MĚSTSKÁ POLICIE 』は『 市警察 』だね。いつも二人組で巡回していた。
カレル橋の出口を前にして名残惜しくなったのか、しばらく立ち止まってチグハグの橋塔を眺めていた沼おじさん・・・
マラー・ストラナ側端っこの聖像は『 聖コスマスと聖ダミアヌスの像 』キリストの下の二人がコスマスとダミアヌス。
この二人は双子の医師で無償医療で多くの人を救った聖人・・でもキリスト教徒大迫害で火あぶりにされてしまったそうだ。
これらの聖像は17世紀くらいのモノなんだけど、高い方の橋塔が造られた頃にも橋を彫像で飾ったりしていたらしい。
低い方の橋塔の壁はボロボロだ・・元々はロマネスク様式で建てられ、16世紀にルネサンス様式に改築され現在の姿になった。
ところどころに途中で途切れてしまった文字や装飾の跡がある。何度も洪水の被害にあった形跡・・中の石材は細かいんだね
二つの橋塔の間から見える美しいドーム型の建物は『 聖ニコラス教会 ( 聖ミクラーシュ教会 ) 』これは18世紀にできた教会。
カレル橋が造られた頃はこの教会も無かったワケで、そうすると橋から見た街の印象が大分変わるかもしれないね。
この日は聖ヴィート大聖堂見学の日だったので、この教会には入らなかった。ここも凄い建築美があるから入ればよかった ww
さて、そろそろ橋門を潜るか・・次回はここからプラハ城へ向かって、ぶらぶらとマラー・ストラナの坂道を登っていこうか。
と言うワケで、いい加減な部分が多いけどカレル橋と3つの橋塔のお話でした。まぁ、何となくそんなモノだと言うコトで ww
それでは〜 つづく。