波浮港さんぽ - バルバスバウって言いたい沼おじさん
波浮港さんぽの続き・・前回、険しい近道を降りてきた沼おじさん。港へ降り立つと、すぐ横に蔦の絡まり過ぎた建物を発見。
漁師さんの基地かな、前に積まれた木箱と蔦壁の素敵なコラボ景。最初は廃墟かと思ってしまったけど、現役の建物でした ww
ガット船『 第二広洋丸 』を真正面から愛でる。港が丸いから色んな角度から見れて良し。先っちょの赤いトンガリがイカす。
大型船に見られるこの突起は波の抵抗を軽減するモノだが、名前は知らないよね・・調べたら『 バルバス・バウ 』だって ww
まぁ、そんな役に立たない豆知識はいいとして・・この先に小さな港町が見えたのでそちらに向かった沼おじさん・・・
こんな素朴で可愛い港町。空き家もチラホラあるんだけど、こう見えてお寿司屋さんや揚げ物屋さんなど食事処も何件かある。
この日はまだ散歩途中でこの後、前々回に歩いた『 竜王埼灯台 』の方へブラブラしたからお店には立ち寄らなかった・・
でも、一本道の通りを歩いただけだけど・・いい意味で観光地感のない、リアルな生活感を感じられる港町だったんだよね ww
潮風で傷みやすいから厚めのペンキを塗っていたんだろうか・・ペンキの色と剥げ具合が絶妙な味わいの扉 ww
コレはどっちかな、蛍光灯がこんな状態だから空き家だろうか・・空き家もいずれはリノベされて復活する日が来るのかな・・
波浮の町は若い世代や移住組が盛り上げている真っ最中だ。今はコロナで大変だろうけど、何事も必ずその先に未来がある。
建物脇の階段には、切り通しの壁で見た『 ラセイタソウ 』がぎっしり生えていた。海岸沿いによく生える強い植物だったね。
どんなに厳しい環境でも生き残れる先駆植物はたくましい・・でもその横にあったお店はある意味もっとたくましい店だった
コレ、この駄菓子屋さん・・この店がやっているのを見たときは、失礼だけどちょっとビックリした。意外と子供が多いのか?
写真は翌日やって来た時に撮ったもの。夏だったからねアイスが食べたくて買いに来たんだな。確かお婆ちゃんが店番してた。
お店の扉にも貼ってあった『 大島牛乳アイス 』と言うご当地アイスを買ってみた。もはや味なんて覚えてないけどね・・
まぁ、こんなの美味いに決まってますよ。あと『 大島牛乳 』も何処かで買って飲んだ・・ま、味は覚えてないんだけどね ww
さて散歩に戻って更に進んで行くと・・通り沿いの建物より高い位置に一際大きな古い建物が見えた。『 みなとや 』とある。
この建物は明治期に建てられた旅館なんだけど、現在は『 踊り子の里資料館 』となっている様子。遅かったから閉まってた。
この『 踊り子 』ってのは川端康成の『 伊豆の踊子 』だね。『 里 』と付くのは踊り子のモデルがこの波浮港の娘だったからだ
そしてその娘さんが踊りを披露していたのがこの『 港屋旅館 』だったと言うワケ・・16時までは無料で見学できるらしいよ。
で、今いるこの石畳の階段が『 踊り子坂 』と呼ばれる道で、この階段を登って行ったら一瞬で宿の前の道に出る事ができた。
この宿猫のあんこちゃんが居た道だ。沼おじさんが泊まった『 東京梵天 』と言う古民家宿以外にも周囲に宿はいくつかある。
何れにしてもこの辺りに宿泊すれば、波浮の町も港も十分に堪能できるだろう。一旦地図を見て立地を把握して見よう・・
真ん中の赤い点線がさっきの『 踊り子坂 』で、坂を登ったすぐ先に『 東京梵天 ( ぼんてん ) 』があるのが分かるだろう。
宿の前の道もノスタルジックで風情のある道だったしね・・ただ古民家宿と言うだけで選んだ割に、色々と正解だった ww
最後に地図の紫の点線が引いてある道を歩いて散歩を終わることにしよう・・その前に港の一番奥にあった『 鵜飼商店 』へ
店の写真を撮ってなかったが、買ったのはコレ・・全部茶色で分かりにくいけど、ハムカツ、メンチ、コロッケと言った所か
鵜飼商店は揚げたてコロッケが人気の揚げ物屋さん。沼おじさんが行った時も地元の方が何人か来てたので実際人気なんだろう
宿に調理場や炊事器具一式揃ってたので、おかずだけ調達して晩御飯にしたのだ。まさかのまさかで味は覚えていないが ww
考えてみて、揚げたてハムカツに揚げたてメンチ、揚げたてコロッケだよ、美味いに決まっている・・じゃぁ散歩に戻ろう・・
踊り子坂は途中で二股に別れている。鵜飼商店から港の端っこをぐるっと回ると、旧港屋旅館と反対側の登り口が現れた・・
その階段にまたまた野良ニャン発見。この日の散歩で5匹目のニャンだ・・さすが港町だけあってニャンが多いね、ホント ww
人懐っこい宿猫あんこと違って、階段を登っていったら四角く開いた壁の穴へシュッと逃げ込んでしまった・・・でも・・
壁の上から覗き込んだら、居た・・このハッ、見つかった・・って顔がたまらないね ww 若い野良ニャンはツメが甘い。
何の穴か知らないけど・・その先を覗くと冒頭の『 第二広洋丸 』が見えた。ちょうど今回のスタート地点があそこら辺です。
バルバス・バウって思いの他長いね・・バルバス・バウか・・今日限り二度と使わねぇだろうな・・何か有効に使えないかな
日常会話で・・・俺のバルバス・・ダメだ、やめとこう・・やっぱり二度と使うことはないな・・・バルバス・バウ。
すっかり居直った野良ニャンに別れを告げ、踊り子坂を登っていった沼おじさんでした。なかなかいい散歩だったなぁ
4回にわたってお送りして来た『 波浮さんぽ 』シリーズですが、時間で言うと2時間くらいの短い散歩なんだよね ww
でも、たった2時間とは思えないほど充実した景色を堪能できた気がする・・お散歩話はコレでおしまい・・でも最後に・・
沼おじさんが宿泊した古民家宿の紹介をして、波浮シリーズの終わりにしようかな。他に波浮周辺の見所ネタも色々あるけど
それはまた別の機会に・・と言うワケで、歩けば歩くほど魅力を感じられる波浮エリアを散歩した時のお話でした。それでは〜
・・・もうちょっと、つづく。
文京つつじまつりとお化け階段
先週末は久しぶりに文京区は根津神社の『 つつじまつり 』に行って来た沼おじさん。ここへは年度も来てはいるんだけどね。
モクレンが終わって桜も散り、もっと季節を堪能したいと思って・・2年くらい来てなかったから、そろそろいいだろうと ww
ツツジは道路脇の生垣でも見れるけど・・これだけ綺麗にツツジの玉々が凝縮された景色は、道路脇のソレとは全く別物だ。
引いて観ても凄いけど、100種類くらいのツツジがあるから一個一個じっくり観てまわっても毎回新しい発見がある・・
まぁ、前回観たのを忘れてるだけなんだけどね・・お陰で毎回楽しめる ww 今回はお花より葉っぱをフィーチャーしておこう。
ツツジの新緑の葉っぱは、嘘みたいな蛍光グリーンだ。蛍光色に輝く葉っぱに焦点を合わせると目がクラクラするほど眩しい。
光の透け具合やツヤ感が安いビニール製品っぽくて、この色を見るといつも作りモノか?って思っちゃうんだよね ww
さて、ツツジを楽しんだ後は根津の街をぶらぶら・・駐車場の片隅で雑然としつつも綺麗な薔薇を咲かせる植木が目に留まる。
昼飯を食べに行こうかと信号待ちをしていると、横の地図に気になる文字が・・真ん中辺に『 お化け階段 』ってあるでしょ
なんだか気になったので、ちょっと回り道になってしまうけど・・お腹もペコペコではないし・・よし、行ってみるか・・
どうやらコレが『 お化け階段 』らしい・・パッと見普通の階段にしか見えないな・・でもよく見るとおかしな所が幾つかある
今、人が登ってる左端の部分は途中で壁にぶち当たって途切れているし、上まで続く広い方の階段とも段差がズレている・・
どうやらこの姿は改修に改修を重ねた結果で、元々のお化け階段は今の三分の一くらいの細い階段で両脇が壁だったようだ。
階段の真ん中辺りが白く見えるでしょ、そこが元々の階段位置で、後から左右両脇に階段が広げられたワケだ・・でも・・
さっきも言った様に一度に改修されたのではない。順番としては初めに元々あった階段に段差を合わせ、左部分が増築された。
その後に右側が更に増築されるんだけど、その際に元々あった中央の階段石が撤去され、新しい横長の階段になった・・
左端の段差がズレているのはそう言う事・・階段は途中で右に折れ先は見えない。昔は細くて塀に囲まれて不気味だっただろう
でもそれだけがお化け階段と言われる由縁ではなくて、登る時は40段、下る時は39段って感じで段数が変わるのだ・・
写真に写ってる人達も数を数えながら登ってたけど・・左端はそもそも段数が違うから、ここを登るとややこしくなるので注意
あくまで同じ道を登って、同じ道を降りる。それで段数が違うってのが売りの『 お化け階段 』だ ww
ものぐさな沼おじさんは前の人が往復し段数を数え「 ホントに違う〜 」と言ったのを聞き、なるほど〜と思って先に進んだ。
階段を登った先に現れた坂道・・上りも下りもどちらも急だな。この坂を下る途中、壁に『 異人坂 』と書いてあった。
まだ外国人が珍しい明治時代、この坂の上に東京大学の外国人教師の官舎があった為、そんな風に呼ばれる様になったそうだ。
後、もう一つ書いてあった。ここの地名は『 弥生 』と言うんだけど『 弥生式土器 』はここ弥生町の貝塚で発見されたモノ・・
『 弥生時代 』という名前は『 弥生式土器 』から付けられているワケで・・つまりは弥生町が弥生時代の名前の元なんだな ww
異人坂を下り根津銀座通りにある『 中華料理オトメ 』に入った。いい感じの古き良き店内 ww 腹の減り具合も丁度いいぞ・・
餃子と五目固焼きそば、ニラレバを注文。まず餃子、コレが美味い。なんかタコ焼きみたいな独特の味で無性に美味い ww
餃子自体の味がしっかりしているので、最近流行りの酢コショウくらいで食べて丁度良かった。ニラレバはレバー厚めタイプ。
分厚いレバーが苦手な人は注意ってぐらいかな、味はニラレバです ww そして最後にびっくりしたのが五目固焼きそばですよ
唐揚げ乗ってるからね ww それだけじゃないよ、チャーシューあり、豚肉あり、ハムあり、肉だけで四種類! エビもあるし
うずら、銀杏、ベビーコーン、たけのこ、椎茸、小松菜・・思い出せた具材を数えたら 19種類あった。オトメ、おそるべし ww
19じゃ半端だからもう一種類くらいありそうだが・・もう思い出せない・・贅沢さだけではなく味も美味い、オススです。
と言うワケで、久しぶりのつつじ祭りに行って、根津の怪談階段とへぇ〜坂を歩き、ウマウマ中華に満たされたお話でした ww
根津神社のつつじまつりは5月1日までだったかな、もうちょっと観れるので週末にでも行ってみるといいよ。それでは〜
シュールな夢
外は快晴、内は雨・・この謎かけの様な景色は誰の心象風景だ?・・まるでシュールな夢の様・・・どうも、沼おじさんです。
寝つきが悪いので最近流行りの『 ヤクルト1000 』を飲み始めました。1日1本、まだ四日目なので効果は良く分からん ww
まだ寝つきは悪いけど、変な夢を見て起きてるんだか寝てるんだか分からない様な感じは無くなったよーーな・・気が、する
ヤクルトなのに 1本150円もするからな、そりゃぁそんな気もするさ・・きっと150円を信じる心が効果を生むのだろう ww
流行ってるからかコンビニやスーパーだと売ってないんだよね・・駅の自動販売機だといくらでも手に入るが、ちと割高だ。
ストレスの緩和に睡眠の質向上・・沼おじさんは寝るまでをどうにかしたいんだよね、寝つきに効果あるんだろうか・・
とりあえず一ヶ月飲んでみて、何も変化が無く、それに対しストレスを感じたら、シュールな夢だったと思う事にしよう ww
波浮さんぽ - 近道に苦戦する沼おじさん
伊豆大島の波浮エリア散歩の続き・・今日は波浮港へ降りてみたいと思う。適当に歩いてたら凄い景色の小学校があった・・
たぶん現在は廃校になってしまった『 旧波浮小学校 』だと思われる。背後に迫る山と霧も相まって強烈な印象を覚えた ww
さて、高台の宿からすぐ港に降りられる階段があるんだけど、別エリアの散策途中で港方面へ向かったのでかなり遠回りだ。
ところが、小学校を撮影していたら背後の道端にこんな看板を発見した・・『 波浮港 近道 』と書いてあるではないか!
普通の道路を行こうとすると、C字型の港の反対岸まで回りこまなければならない。歩くと30分はかかるのでコレは助かる。
レンタカーで行けばすぐなんだけど、町ブラに車は使わない。車だとついつい目的地までノンストップで行っちゃうからね・・
よっしゃ行くかと近道に入り込むと、いきなりこんな状態 ww ハイキングなんかによく行く人ならわかると思うけど・・・
近道とは常に険しい道だ。長く緩やかに進む正規ルートと違って、近道は急斜面を真っ直ぐ最短ルートで進む道だからね。
一応石階段があるんだけど・・この車社会にこんな近道はほぼ利用されてない様で、階段が見えないほどシダが繁殖している
さっきまで降っていた雨のせいで足元のシダはたっぷり雫をつけている。ちょっと進んだだけでズボンや靴はビショビショだ。
難所を抜けると足元のシダは次第に少なくなって、道が歩きやすくなってきた。とは言えボコボコで急な石階段は注意が必要。
濡れてたし苔でヌルッとした所もあるから、調子に乗って歩いてると怪我しそう。ここで怪我しても誰も気づいてくれない ww
シダが減ったのは横日が入る様になったからか・・茂みが切れて下に広がる港の景色がチラチラと見える様になってきました。
相変わらず遠景を見ると天気が良かったらなぁ・・なんて思ってしまうけど、雨なら雨なりのイカした景色があるモノだ・・
この近道も天気が悪かったからこそ、濡れた石階段と艶めく緑が妖艶な空気を演出して思い出深いものになったワケだしね。
こんな道わざわざ歩けとは言わないけど・・せっかくの旅なワケだから、変な道を通ると非日常感が増して良いじゃない ww
そうやって普段行かない様な道を進んでゆくと、それなりに普段見られない様な景色が待っている・・かも、しれない・・
だいぶ港が近づいてきましたね、茂みの隙間からクレーン付きの大型船見えた。頑張って降りていたのでちょっと嬉しい ww
何処でも見れる日の出が、頑張って登った山頂から見ると特別になるみたいに・・旅先の思い出を特別にするのは自分の足だ。
湾の入り口も見えますね、どうやらこの近道は港の真ん中辺りに繋がっている様子。ここまで来ると階段も大分歩き易かった。
ここでもう一度おさらいすると・・大昔、波浮港は港ではなく火山の噴火口に雨水が溜まって出来た『 火口湖 』だった・・
この湾の入り口も昔は塞がってたんですね・・それが300年前の大地震で噴火口の一部が決壊し海と繋がって港が出来たワケだ
この近道は地図でいうと青い点線の部分ね、踊り子坂って書いてある赤い点線が宿からもっとも早く港に降りられる階段です。
成り行き任せでブラブラしてたから、随分遠回りして港に降りたかよく分かる・・まぁ、同じ道を戻るよりいいよね ww
さて、やっと港まで降りてきた。波浮港をぐるり囲む切り立った崖・・噴火で積もったスコリアと火山灰の縞模様が見える。
今、自分は火口の中にいるんだと思うと何だか感慨深い。下調べ殆どしないけど、こう言うのは知ってた方が面白いかもね。
近道の階段から見えた大型船は『 第二広洋丸 』と言う貨物船だった。砂や砂利、石材を運搬する『 ガット船 』と言うヤツだ。
上から見たとき黒いクレーンがあったね、このクレーンを『 ガット 』と言うらしい。海底から砂利を採取する装備なんだって
まだ港に入ったばかりだけど、長くなるので今日はコレくらいにしよう・・でも最後に見晴台から見た港の全景を貼っておこう
別日に撮ったものだけど、この日は朝のうちだけ晴れていたので元町に移動する途中に撮影した。丸く囲われてるのが分かるね
ここが火口だったなんて面白い。そして左手に小さな建物群が見えるでしょ、次回はあの港町をブラブラしたいと思います。
と言うワケで、何処へ行っても近道というモノはやっぱり険しい道だったと言うお話でした ww それでは〜 ・・・つづく。
レベチなハポチ
人形町から日本橋へ向かってブラブラしている途中、イカした塗装屋さんの建物があった。この辺りは碁盤目状の道だけど
すぐ先に日本橋川が流れているので、川沿いの地形は複雑だ。道はここから少し複雑なカーブを描いたりするんだよね。
そんな立地もあって新しい建物が立ち並ぶ直線道路の正面に、この古びた出で立ちの建物がデンと居座ってる様が良いじゃない
でも、ホントに良いのはその前に並べられた植木かもしれない。下町は植木パラダイスだ、今日はそんな植木景を見ていこう。
先ずはこれを見て欲しい。パッと見 素敵な紫陽花の植木だが、根元の方をよく見て・・発砲スチロールなんだよね・・・
いやいや、こんな立派な紫陽花の根がそんなスチロールケースに収まるワケがないでしょって言うね、絶対突き抜けてる ww
下町の植木景が好きでこんな写真が一杯あるんだけど、割と発砲スチロールユーザーが多いんだよな・・もう一つ・・
コレやばいでしょ ww また発砲スチロールなんだけど、レベルが違うでしょ ww レベチでしょ、レベチなハポチでしょ。
門仲の床屋なんだけど、この蔓植物は建物正面の店の日除けを全て覆う程成長しているんだよね。結果そうなった感じ ww
分析すると、起点は三つ並んだ発砲スチロールの右端かな、一つじゃ収まらなくなり二つ三つと増設していったのだろうか。
まぁ、どうせ根っこは地面まで貫通しているだろうけどね ww 発砲スチロールでも植物はここまで成長出来るんだなぁ・・
いや、むしろ貫通出来る発砲スチロールだからこそここまで成長出来たと見るべきか・・やっぱ下町の植木景は楽しい ww
人生の三分の一をシルクに委ねる沼おじさん
もう10年前か・・山梨県の山奥に崩壊寸前の小さな木造小学校があった。外側の壁は屋根から床まで崩れ落ちてしまっている
教室内に勉強机や椅子は無かったんだけど、黒板の前に何やら見慣れない装置が二つ取り残されていた・・・なんだろね・・
青い鉄枠の装置とモーターが付いた装置が置かれていますね。小学校にこんな機械あったかなぁ・・何て思いながら近ずくと
青い方の機械にはプレートに『 足踏式収繭機 』とある・・なるほど、養蚕の機械か・・でも使い方は見当もつかない ww
調べてみたら・・中層に碁盤目状の段ボールの枠みたいなの写ってるでしょ、そのマスの中に蚕さんが繭を作るんだよね・・
で、上段に乳白のパーツが見えるよね、これで繭を上からガシャンと押し出すんだな・・その操作を足踏みペダルでやる装置。
製造元は北沢農蚕具と書かれていたけど、現在は『 北沢農蚕機製作所 』として主にアルミ三脚など作っている現役メーカー。
ホームページを見るともうこんな機械は作ってなさそうだが、会社の歴史を大事にしてるのか名前がそのままなのが面白い。
この小学校は昭和49年に廃校になっている様なので、それ以前の機械だろうね・・でも何故小学校にこんな機械があるのか
時代的に地域的に、珍しいのか普通なのか分からないけど・・どうもこの小学校では養蚕の授業があったらしい。
んじゃ、もう一つの装置はなんだろう・・そんな授業があったなら手前のコレも養蚕関係の実習用具と考えて良さそうだ・・
蚕の繭を処理するのにもう一つ重要な作業があって、それ用のマシンだとすれば『 毛羽取機 』ではないかと推測できる・・
さっきの段ボールの枠に蚕が繭を作るとき、繭を枠に安定させるため蚕さんは繭の周りに支えの糸を沢山張り巡らすんだね。
その周囲の余分な糸を『 毛羽 』と言うんだけど、この毛羽を取らないと繭同士がマジックテープの様にくっ付いちゃう・・
多分、この機械の上で繭をコロコロ転がしながら、毛羽を取って初めて我々が知っている楕円形の綺麗な丸い玉になるワケだ
極上のシルクが出来るまでには色んな下準備があるんだな・・って何故こんな古いネタを引っ張り出してきたかと言えば・・
最近、妻が予約注文していた極上シルク枕カバーが半年待ち位してやっと届いたんだよね。ソレを言いたかっただけ ww
マスクでお肌が荒れている沼おじさん。寝る時くらいシルクでお肌をいたわってあげようと、優しい妻が買ってくれたのだ。
高いけど、髪にもいいって言うし・・人生の三分の一は枕に頭擦り付けて過ごすワケだから、寝具には金かけてもいい説ね。
ただ、トゥルットゥルでゴールドの極上シルク枕カバーがおじさん汁でシミだらけにならないかが心配な沼おじさんです ww